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8月15日に思うこと

皆さん、こんにちは!
関西では超大型の台風が直撃していて、新幹線も運転見合わせや飛行機も欠航しております。
お盆のお休みの時期に、なんでまた台風直撃なのか・・・
とお天気を恨んでしまいます。

 

冒頭で一つお知らせです。

 

来週24日にサンワード貿易さん主催の無料セミナーを開催します!
年内では最後の無料セミナーになりますので、
ぜひ皆さんお越しください!

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今日はトレードには直接関係のない話になりますが、
終戦の日になりますので、
気持ちもざわつきます。

普段はアホな話で終始終わってしまいますが、
今日ばかりはちょっと真面目な話をしたいと思います。

 

私は昭和55年生まれですが、
父オサムは昭和8年生まれのため、戦前です。
戦前生まれで
終戦になった昭和20年には12歳だったため、
86歳になる今日でも、
かなり記憶もしっかりあります。

 

なので、小さい頃から
戦時中はこうだった、ああだったと
当時の話はしょっちゅう聞いてきました。

その上、
通った小学校の修学旅行は広島
中学校では長崎と、
これまた平和教育が盛んな学校で育ったため、
38歳になる今でも、
8月の前半になると、
広島の原爆について考えてしまうし、
未だに、どうしてあんな戦争があったのかと
答えの出ない疑問が心から湧いてしまいます。

 

先週、
山田雅人さんが、都内で
“山田雅人語りの世界”を開いていました。
ご縁があり、初めて観せてもらいました。

 

1部は中畑清物語で、
私も小さい頃にスターだった
巨人の中畑選手の反省を
本人登場の元、山田さんが臨場感あふれる語りで
笑いあり、涙ありで
中畑選手の半生を語ってくださいました。

 

うちのオサムは関西の人間なのに
筋金入りの巨人ファンなため、
私も小さい頃から巨人軍の試合を見ていて
とても身近に感じました。

 

当時の選手もほぼほぼ覚えていて、
かなり楽しく聞き惚れてしまいました。

 

2部は戦火に散ったプロ野球選手というお題で、
くしくも第2次世界大戦のせいで
野球人生を全うできなかった
3人の選手にフォーカスし、
熱く語ってくださいました。

 

正直言うと、
この手の話はとても弱い自分だったので
思わず涙がポロリ・・・
これまたなんで
あんな戦争があったんだろう・・・と
つくづく思わされる日になりました。

 

帰りにラーメンを食べましたが、
ラーメンを食べたあとも
何とも言えない気持ちになりました。

 

昭和後半生まれの私は
生まれた時にはすでに戦後の復興なんて終わっており、
まさに日本が世界相手に経済大国になるべく爆進しまくりの時期でした。

メイド イン ジャパンが
世界に名を轟かせ、
日本人の戦前の思想から
戦後の民主主義や個人主義的思想が入ってきて
これまた大転換を終えたかなぁという時代でした。

 

それでも、昭和の時代は
男尊女卑的考えは根強く残っていましたし、
女性の社会進出もまだまだ難しい時代でした。

 

そんな幼少期から

高校生の頃には2000年問題勃発で
当時の親友が帰り道に
2000年になったら
どれだけ大変な自体になるかを
一生懸命語りながら
何言ってんだかな~~と思いながら
歩いて帰ったことを今でも思い出します。

 

私は大学生の頃は
昭和から平成に変わり、
日本の高度成長期からバブル崩壊となり、
不況不況と世の中全体が不景気。

誰も将来に大きな夢を描くことや
お金を沢山稼ぐぞ~~~!
なんて考える若者は自分の周りにはいませんでした。

 

もしかしたら、
自分が周りと比較しても一番楽観的だったんじゃないかと思います。
公務員思考の考えの子たちが多く、
安定を求めて資格を取得するのが良しとされてました。

民間企業に入って、
仕事を邁進するものの
お給料は限りがあります。

 

20代の頃は
まだまだ若かったので、
世の中の潮流も分かっているようで分かっていない。

そんな中で結婚、出産を経て今に至ります。

 

ビジネスを立ち上げて失敗はしましたが、
今となってすでに笑い話です。
この失敗があったからこそ、
自分はFXと出会うこともできたわけだし、
結果オーライということになります。

 

戦後から74年。
私は戦後34年目生まれです。

子どもたちは
戦後65年目生まれです。

 

先日、那須に温泉に行った際に、
行きの車の中では
火垂るの墓を見せました。

 

車中はしーーーーーん。

14歳の清太が
一生懸命4歳の妹の節子を世話する姿に
子どもたちは言葉をなくしていました。

 

また、神戸の空襲で焼けただれたお母さんの姿。
親戚のおばさんのいけずな態度。
着物がお米に変わる当時の貨幣価値。
防空壕で2人で暮らし始め、
七輪でご飯を炊くシーン。

 

どれも、うちの子達には
考えられないことなので、
驚きの連続だったと思います。

私はこの映画を高校生くらいまでに
おそらく10回は見ていたと思います。

毎年テレビでやっていた記憶があります。

最近はやらないんだなぁと素朴な疑問がありますが、
このご時世、色々とあるんでしょうか。

 

私は何度見ても
せっちゃんが海辺で泳いだあとに
袈裟をかけられた死体に遭遇するシーンを見ると、
何とも言えない気持ちになります。

 

ただ、今回久しぶりに見て思ったことがあります。

 

清太は終戦を知ったのは、
銀行にお母さんが残してくれたお金をおろしに行った時。

ラジオもなく、
防空壕で妹と暮らしていたため、
外界の情報からは遮断されていたので、
終戦を知ったのはしばらく経ってからのようでした。

 

いつの時代も
情報をいかに得るかは
とても大事だなと・・・。

そして、先を読む力が
もし清太にあったら、
もしかしたら、この2人は死なずに済んだかもしれないなと・・・。

 

そうなっていたら
ドラマにならないけれど、
もしかしたら、
生き延びたのではないかと思わずにはいられません。

 

小さい頃から
もし自分が戦時中に生まれていたら
どう過ごしただろうかと
思いを馳せることもしばしばあったため、
もし、清太とせっちゃんが違ったらと・・・
と考えてしまいます。

 

 

こんな話をしてきましたが、
令和の時代に入り、
昭和は前の前の時代になりました。

 

少し前から
だいぶ前に・・

だいぶ前から
昔は・・・

に変わり、
そのうち、
1945年は第2次世界大戦で日本が終戦
と、
1467年応仁の乱
と同等レベルになる時代がやってくるんだなと思います。

 

 

私は自分が昭和後半生まれ良かったな~と思いますし、
子どもたちは子どもたちで
今の時代に生まれてほんとに良かったと
ふとした時に言ってます。

 

今の時代は日本の歴史からみても、
とても良い時代が到来しています。

 

特に、今の日本だと、
身分差もなく、個の力で職業は好きに選ぶことできます。
数年前に訪れたインドでは、
未だに根強い身分によっての職業の制限があるので、
日本は幸せな国だと思います。

 

本人の資質や努力によって、
選択肢の幅はかなり広いことは明らかです。

例えば、
私達も仕事をしながら
FXをしようと思うと誰でもできてしまう
この環境は
世界の色んな国を見てもかなり優位な状況と言えます。

 

自分がやりたいと思うことを
純粋にできるって
本当に素晴らしいなって感じます。

 

戦争で命を奪われた方の全ての方にご冥福をお祈りするとともに、
この時代に生まれて、
自分ができることはどんなことでもチャレンジしていきたいと
思う今日このごろです。


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